いつの頃からかおぼろげに夢見ていたことが、現実になっていく。手を伸ばせばちゃんと届く。“思うことが叶うこと”に繋がる。

逆に言うと、自分のなかで「これは無理だな」「こんなの叶いっこない」と思考停止してしまったものは、絶対に叶わない。 そんな未来は絶対に訪れない。

ただもし、これを読んでいる君が、少しでも「こんな未来がきたらいいな」「こんな自分になれたらいいな」と思うことがあるのなら、頂上が見えない山だとしても、“目指して”みるといい。

僕にもまだまだ果てしない道のりだけれど、着実に1歩1歩進んでいる感覚はある。“心はもう、動き始めている。”これが大切だ。あとは、僕の心が「行きたい」と思った国に、体を動かしていくだけでいい。実は、すごく、すごく、シンプルなんだ。

飛行機の窓から、カリブ海に浮かぶ小さな島がポツンと見える。美しい海の青さと、広い空。ヤシの木がさわさわとなびいている。

白い砂浜が海と空の色とうまく混じり合い、子供の頃に大好きだった「クリームソーダ」を連想させる。だんだん近づいてくると、それは小さな島でなかったことに気付く。

「キューバ」だ。 物心ついた頃から知っていた、憧れのキューバ。今回は不安なんかより、期待の方が遥かに大きい。そんなキューバに心を踊らせ、僕の46カ国目の旅が始まる。

世界一周 46ヶ国目/キューバ

2週間かけて、日本の国土のほぼ5倍の広さのメキシコを北から南へ。

サンディエゴとの国境のティファナから入り、世界遺産の街グアナファトから、首都メキシコシティ。古き良き伝統が残るオアハカから、世界屈指のリゾート地カンクン/トゥルム。最後はカンクンから出国し、キューバ・ハバナへやってきた。

ついにやって来た、カリブ海に浮かぶ社会主義の国・キューバ。まるで映画の中の世界に迷い込んだような、ハバナの街。

角を曲がれば、ギターやマラカスを手に、太くあつい葉巻をくわえたおじちゃんが「hola!」と挨拶してくれる。

レトロな車が街を走り、ちょっとそこのレストランで、美味しいモヒートでも。もう一度「チェゲバラ」の話を調べてみようかな。

カリブ海の夕日は、ゆっくり、ゆっくりと、オレンジ色にハバナの街を染めていく。

社会主義国のWi-Fi事情

「社会主義」みんなは、その言葉の意味を知っているかな?社会主義とは、国家/政府が社会を管理する体制のこと。

日本やアメリカなどの民主主義/資本主義国家では、企業が利潤を求めてモノの生産をするけれど、社会主義国家では、政府の指導のもと計画生産をする。

国民の仕事も政府が管理していて、食料などの分配制度もあるんだ。お給料もタクシードライバーから、お医者さんまで、みんな一緒。

良い点は、格差が生まれにくいこと。良くない点としては、政府の計画に基づくため、国としての成長が遅くなることや、管理された国家において政府の権限が大きくなることなどが挙げられる。

だから、未だにWi-Fiや電波があるところとないところがあるんだ。

ある時間になるとハバナの公園に、ぞろぞろと人が集まる。みんなWi-Fiがほしいんだ。決められた時間になると、Wi-Fiにパスコードを入れられる。そうするとインターネットにアクセスできるんだ。

考えられるかい?

国がお母さんみたいに、国民のインターネットへのアクセスを制限してるんだ。僕も昔はよく「ゲームは1日1時間まで!」って言われていたけれど、それの強制版。僕にはたまったもんじゃないけれど、面白いカルチャーショックだった。

僕は、3年前、はじめてした世界一周の旅でこんな言葉を残している。

「旅に出るまで、退屈な毎日に飽き飽きしていた。毎日、毎日、同じことの繰り返しで。でも、旅に出て全てが変わった。出会うものすべてが新鮮で、新しく、刺激的で、同じことの繰り返しなんて、どこにもありゃしなかった。退屈なのは、“世界”じゃない。退屈なのは、“自分自身”だった。」

他国を旅するまで、誰かがつくった“常識”という透明な箱に閉じ込められていた。皆が皆、それを当たり前だと受け入れ、“箱に閉じ込められている”という認識もない。もちろん、僕自身もだ。

しかし、他国という異教/異郷/異境の地を、自身の足で歩けば歩くほど、僕の中にある“透明な箱”を客観視することができ、カルチャーショックと呼ばれる違和感は、次第に僕の中の「常識」に変わる。

アウェイ感というのだろうか、慣れた頃には、それが僕の中で新たな常識となっていて、旅をすればするほど、また帰って来たくなるような「ホーム」が増えていく。

僕は、旅をする国をリスペクトしている。その地に踏み入れた瞬間、アウェイなのは僕の方なのだ。その土地は、旅人にとって住みやすい土地ではない。その場所に住む人々が住みやすい土地なのだ。

旅をすればするほど、新しい発見があり、その発見は、僕の中の“透明な箱”を大きくしてくれる。

旅の終わりに

キューバでは、ハバナ、海の美しいバラデロ、世界遺産の街トリニダードを旅して、僕はニューヨークへ向かった。

ニューヨークに着くと、そこは豪雨。背の高いビル群が立ち並び、人々は忙しそうにせかせかと歩いている。時折鳴る雷と、黄色いタクシーのクラクションが殺伐とした空気をより一層濃くしていた。実はメキシコ・キューバの旅はぜんぶ夢で、目が覚めたような気分だった。

日本を離れて1ヶ月半、最終目的地・ニューヨークにたどり着いたとき、今回の中南米の旅は「世界一周ぶりに、いい旅が出来たな。」と強く感じる旅だった。人生をより一層見つめ直すことができた。「世界の秘密」にまた一歩近づけた、かけがえのない経験だった。

アメリカ・サンディエゴから、陸路で国境を越え「ティファナ」へ。未知の場所を陸路で国境越えしたのは、世界一周ぶりで、そういった探究心が旅心をくすぐった。不安と期待の比率は「7:3」。言語も通じない、身振り手振りな日々。

…そうだった。これだった。旅を始めたときは、英語もろくに話せず、身振り手振りで、どうなるか分からない。そんな状況の中、旅をしていた。

いつの間にか、英語も喋れるようになって、“移動すること”にもストレスを感じず、どこでだって、仕事をすることができる。こうなってくると、それは「旅」ではなく、もはや「日常」だ。非現実を探す方が難しかった。

何ひとつ問題なく旅ができるようになっていた自分。不安の「ふ」の字もなくなって、良くも悪くも「慣れ」ていた自分。もともと旅は非現実だったのに、気付けば、当たり前の現実になっていた。

…ひとつ、聞きたい。これを読んでいる君は、最近なにかで感動しただろうか?

東京にいた頃の僕を思い返すと、感動したという記憶が全くない。一生懸命登った山だからこそ、山頂で見る朝日は美しい。そういった経験があまりにもなくなっていた。

どこの本屋さんを見て回っても売り切れで、3軒目でようやく手に入れた“かけがえのない”本。という感動が、全くない世の中になってしまった。不便さをなくし、未完成な世の中を、テクノロジーの力で穴埋めする。

完成した世界で感動しないのなら、僕は未完成の世界で感動していたい。

見知らぬ土地で、言葉も通じない、「ひとの優しさ」に触れる旅。相手は日本語どころか、英語も分からない。身振り手振りでやっとの思いで通じた言葉。言葉が伝わることが、どれだけ嬉しいことか。

実はキューバでスマホをなくして、時間ができると、遠くを見ていた。写真はないのだけれど、キューバ・バラデロで観た、カリブ海に沈む夕日は美しかった。空の色が少しずつ変わっていく、あか、黄、オレンジ、ピンク、紫、あお、と。まるで「人生」みたいに、グラデーションしてたんだ。

隣同士の色は、色が似ていて、違いがあまり分からないけど、一歩引いたところから見つめ直すと、その色の変化に驚く。まるで「人生」みたいな夕日だった。

この旅を振り返ってみると、少しずつスペイン語が分かってきて、言葉が通じる喜びに感動していた。言葉が通じて、嬉しくて、飛び跳ねちゃうくらいの笑顔。そんな経験したのいつぶりかな。

東京にいると、感動することがなくなっていくように感じる。ぜんぶ、ぜんぶ便利だからかな。スマートだからかな。人は単純なことで喜ばなくなってしまっている。

「今日も楽しかったね」そんな毎日が続けば、人生は「楽しかったね」で終わる。幸せは意外とシンプルさ。

さぁ、久々に日本へ帰ろう。

エピローグ

日本に帰り数日が経ち、あのバーへ足を運んだ。旅立つ前に出会ったあの男はいつまで経ってもやってこない。

きっと、ここじゃない未完成の地で、心踊る旅をしてるんだろうな。男の大きな背中が揺れる、そんな姿が目に浮かんだ。

KEY TRAVELERS

- 世界を旅する8人 -