人生には”山”と”谷”が必ず存在する。山と谷はもちろん比喩だ。良いことと悪いことが代わる代わるやって来るという意味。

すべての人間において、谷だけの人生も、山だけの人生もなく、それは交互に、代わる代わるやって来る。山ばかりの人生も、谷ばかりの人生もない。それは常に「交互」にやってくるのだ。

いま自分がいると思ってる深い谷(悲しみ)も、「なんだ大したことなかったじゃないか」と思える日がきっとくるし、その谷よりも遥かに深く暗い谷も、果てしない喜びの山も、これからの人生に必ず存在する。

思うに、谷は「チャンス」だ。新しいことが生まれるのはいつも”谷”から。谷があるから、山を登ることを楽しめる。一度止まったって、一歩一歩、ゆっくりと着実に前に進んでいく楽しさを、人生という旅を通して学ぶことができる。

そして人はもう谷に落ちないように工夫をするが、人は再び谷に落ちる。1番大切なことは、”谷”から抜け出す方法を知っておくことだ。

ひとつは”海”を見ること。もちろん海もまた比喩である。今いる山と谷とは全く別の世界に飛び込んだり、今まで見たことのない風景や、行ったことのない場所、会ったことのない人に出会うこと。

それが「海を見る」ということ。そして、それが谷から出る最大のコツだと僕は感じる。人生とは荒波が永遠と続く航海みたいなもの。荒波を乗りこなすヒントは海にしかない。

4年ほど前に、半ば強引に日本を飛び出した僕だが、ここまでの道のりは言葉通り「山あり谷あり」の旅路だった。おそらくこの山と谷を上り下りすることこそが人生なのかなと思う。

そして、その谷から抜け出す1番の方法、つまりは「海を見ること」というのが、「世界を旅すること」かなと僕は感じる。

2020年が始まりふた月ほど経った頃、僕はヨーロッパ・スイスからイタリアまで1,500kmを越える道のりを鉄道で旅していた。谷から抜け出すために。

始まりの地・スイス/チューリッヒ

日本から直行便で約9,600km。12時間ほどフライトした先に「永世中立国」のスイスがある。

スイス・アルプスの美しい山々がそびえ立つ”ウェンゲン”で撮影を終えた僕は、チューリッヒまで下ってきた。ここからさらに南下し、陸路でスイスからイタリアへ国境を越え、そこからミラノ・ヴェネチア・サンマリノ共和国・ローマ・ナポリ・ポンペイまで1,500km、鉄道で旅をする。

物語のはじまりは、ここスイス・チューリッヒからだ。ここから予定調和にない「旅」がまもなく始まる。旅に出る前は、やはり期待よりも不安の方が大きい。もちろん見たかった景色や食べたかったもの、会いたかった人のことを考えると、ワクワクと心踊る想像をするが、それでも初めての土地は緊張する。

それは「旅」だけのことではない。何か新しいことに挑戦するとき、誰だって最初は不安や恐怖の方が大きい。

「ミラノ行きはどれだろう?」

チューリッヒの大きな駅で、見知らぬ土地名へ向かう列車が何本もあるなか、僕が乗るべき列車を探した。どうやら3回ほど乗り換えるようだ。グシャっと握りつぶした切符を駅員に見せ、迷いながらも列車に乗り込むと、すぐに出発した。

車窓から、街に落ちる夕日を眺めた時、ようやく「ふぅ」と肩の荷が降りた。さっきまで寒空の下、不安に覆われていたのに、その霧のようなものが少し薄くなった。

この感覚をみんなも味わったことがあるのではないだろうか?急いで宿を飛び出し、空港まで行き、飛行機に乗って、やっと”一息”。まさに「束の間の休息」というやつだ。

その不安と期待の比率が次第に逆転していくから旅は面白い。「不安」と「期待」と表したが、「ホーム」と「アウェイ」とも言えるだろう。

イタリアに向かう車内で、若いバックパッカーの女の子が僕の前を横切った。光の加減か表情はどちらかといえば、こわばっていて不安そうな顔つきであった。

そんな様子をみていると、僕の世界一周の旅路についても思い出した。

英語も喋れない、1人で海外にも行ったことがなかった22歳の僕も、出発当日は同じような顔つきだっただろう。「不安」と「憧れ」だけを65Lのバックパックに詰め込んで、大学4年生のとき、世界一周の旅に出た。⠀

企業の内定を断っていたこともあり、「旅をした結果、どうなるの?」⠀出発当日、たくさんの人に聞かれた。⠀

未だに、その「答え」は明確には分からない。旅が僕の人生に与えてくれた影響は多大なものではあるが、実際なる”答えあわせ”というものはずっと先だと思う。⠀

「旅をしよう。自分の人生に刻み込まれるような、果てしない旅を。」⠀そう思って、半ば強引に行動して、4年が経つ。旅に出たときは、なんでもなかった、ただの大学生だった自分。旅に出て、多くのことを学び、経験し、更に実践してきた。

未だに、旅が人生にもたらす意味なんてうまく説明できない。だけど、旅に出なかった未来よりは、マシだったと。それだけは強く思う。

たくさんトラブルもあったし、不安に押し潰れそうになる夜も間違いなくある。だけど、やっぱり”旅するように” 生きてる時間も、自分も、環境も好きだし、これからも不安や恐怖を乗り越えて、「自分の心が躍る/ワクワクする」方を選択して生きていたい。

正直のところ、自分の未来がどうなるかなんて分からない。だけどそんなものは、誰だってそうだ。⠀今できることは、胸張って、まっすぐ前を見て、ひたすらになりたい姿に向かって、「挑戦すること」それしかない。

「なりたい自分の姿」はそこにある。いま歩いてる道が、そこにたどり着くのか、たどり着かないのか。そんな分からないミライのことに悩んで、足を止めてる暇は僕にはない。

だから「答えあわせ」は、まだまだずっと先。そんなことを思いながら、鉄道での旅路は「イタリア」を目指す。

ローマ・イタリアにて

早いもので、僕の鉄道での旅はすでにスイスからイタリアの国境を越え、ローマまで南下していた。

これまで「イタリア」の文化や日本との共通点の多くを感じていた。知っていただろうか?イタリアと日本は多くの点で似ている国なのだ。

例えば「幸福度」はイタリアが世界で50位。日本が53位。「平均年収」というものも日本が 22位 449万円。イタリアが28位 364万円。「平均年齢(高い順) 」も、日本が世界1位で 48.36。イタリアが2位に続き、47.29歳。国の大きさも日本が61位。イタリアは71位。

特に、「国家ブランド」…「日本製」「イタリア製」という言葉には独特の付加価値がある。

「英語が喋れない」、「格差」、マフィアやヤクザなどの「闇社会」、「観光産業」、「世界トップレベルの食事」、北が寒く、南が暖かいなど多くの共通点が不可思議にも存在する。

僕は大学時代、社会学を専攻していたのでこういった面でも「旅」を通して学べることは多い。しかし理解すればするほど、机の上で、はたまたスマートフォンの液晶画面越しに理解できる「数字」と、実体験として実際にその土地を歩いてみて理解できる「数字」では天と地のものがある。

人から学んだことは、頭で記憶されるが、自分で経験したことは、心で記憶される。これからも「検索」よりも「探索」をし続けていたい。それは旅人2.0として、クリエイターとして、そして、「人」としてだ。

“サンマリノ共和国”から、さらに380km南下すると、首都「ローマ」に到着することができる。

イタリアのローマは世界一周時から大好きな町。ローマは歩いていて、鼻歌を唄いたくなるほど気持ちがいい。

「ローマは1日にしてならず。」とはよく言ったもので、この大国というのは、すぐに完成できたわけではないという意味だ(言葉通りだが)。

この言葉は、僕の心に勇気をくれる。すべてのものは、もともと0だったはずだ。そこには何もなく、何も存在していないんだ。生まれてすぐ、人は言葉も喋れなければ、1人では全く生きていけない。それを絶望だと思う人は誰一人いないわけだ。

出来ないこと、つまりは「0」であることは、「可能性があること」だと理解する。大人になると、どうしてそれが感じられなくなってしまうのか。

僕は思う。

「今できてるかどうか」は大して重要なことではないんだ。

肝心なことは「数年後の今日、できてるかどうか」「なりたい姿に1歩でも近づけられているかどうか」なんだと。

どうしても人は、「結論」を急いでしまう。しかし簡単に達成できてしまう物事なんて、大したことではないじゃないかな。結論を急ぐんじゃなくて、自分を信じて「過程」を楽しむ。

一歩一歩の努力は、一歩一歩の積み上げは、絶対に裏切らない。富士山だって、エベレストだって、一歩一歩登っていくんだ。一歩一歩ね。

小さな一歩一歩の繰り返しが、やがて大きな地球を、世界を一周させる。そのことは僕は「心」で体感してる。

「ローマは1日にしてならず。」その言葉は僕に勇気をくれる。

旅は終わり、そして新たな旅へ。

最終目的地・ポンペイにたどり着いたのは、僕がチューリッヒを出発してから9日目のことだった。1,500kmを超える鉄道旅。車窓から見える風景は、手に取るように変わっていった。

雪が降る景色もあった。雨が降る街もあった。夕日が沈む田舎町も。歴史あるお城や、大きな牧場。街灯が美しい都会も。

そして、ナポリの美しい海の景色。ウミネコがニャアニャアと鳴いている。駅の前で買ったフンギのマルゲリータピザを片手に、ティレニア海の「遠く」を見つめた。

はっきり言って、鉄道旅は”不便”そのものだ。毎回、自分で行き先を調べて、乗り換えをし、大きな荷物を常に運んで、日本のそれとは比べ物にならないくらい大きな駅を走り回る。

だけど、そういった「経験」が自分の人生を豊かにしてくれる。そして、新しい感情を生んでくれる。つまりは冒頭で説明した、山でも谷でもない、「海を見る」ということだ。

目的地に行くことだけが、旅ではない。旅の本質というのは、「過程」にあると僕は感じる。一歩一歩の、または「一点・一点」の点という苦難・困難こそが、目的地に到達した時に、「一本線」で繋がり、道のりがあったことが理解できる。

この線というのは、振り返った時にしか分からないのだ。道のりが長ければ長いほど、この線は長く、太く、強くなると僕は理解している。

だから、僕らは信じなくてはいけない。自分たちが生み出す「点」がやがて繋がり、「線」になるということを。

2020年1月の下旬。僕はヨーロッパを鉄道で南下していた。窓から見える美しいティレニア海には、今日もウミネコが飛び、人々はジェラートを片手に散歩をしている。まるで呼吸のような、暖かくも優しい”黄金の風”が、吹いていた。

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