なにもないところにいると、なんでもないことで、こんなにも人間は感動できるものなんだな。もしかすると、人は便利になればなるほど、快適になればなるほど、感動の数を減らしているのかもしれない。

それは僕が“はじめて1人旅”に出てから7ヶ月が経った頃、僕はモロッコ・サハラ砂漠にいた。当時22歳。英語も堪能に喋れなければ、1人で飛行機に乗ったこともない。

65リットルのバックパックには、ほんの少しの勇気と、95%の不安とを詰め込んで、無謀とも呼べる「未完成な旅」を続けていた。その果てしない旅路は、いつになっても人生の中で光を失うことなく輝いている。

世界の最西端「サハラ」にて

サハラ砂漠。僕が訪れたこのモロッコという国は、僕の持っている世界地図(日本が中心になっている)で最西端に位置する。

気がつけば当時、日本にいた頃の僕が想像することのできなかった”世界の果て”までやってきていた。

これまでの旅路で訪れた場所、出会った人々、降りかかったハプニングや奇跡。その日が遠い昔にも、つい最近にも思える奇妙な感覚だ。

この数奇な出来事や感覚は、1人旅をした者にしか分からないし、僕は言葉以上の説明が出来ない。だから無理に理解してほしいと思わない。

サハラ砂漠のすぐ近く。メルズーガと呼ばれるこの村からラクダに揺られて向かうは、永遠と続く砂山。

“砂山”と言えば大したことのないように聞こえるが、そこにあるのは、紛れもない“砂漠”。「サハラ砂漠」だ。まるで絵画に描いたような光景に、ある種、目を疑っていた。

僕が世界一周に持って行った2冊の本。

『アルケミスト』と『星の王子さま』の舞台。それもあってか、実物なのに、実物のように見えないのだ。

砂で出来た大小様々な山々。照りつける太陽に反射するかのようにオレンジ色に輝く。一面、砂漠。目に映るものは、砂しかないのだ。

再びだ。この言葉に出来ない気持ち。「すごい」その一言で片付けられるのであれば、どれだけ楽なことか。

「砂漠」という自然の偉大さに息を飲んだ。それは、ヨルダン・ペトラ遺跡の「山脈」やメコン川に沈む「夕日」のような感覚だ。

この旅で、僕は自然からどれだけのことを学んだのだろう。果てしない砂漠のど真ん中。そこにいるのは我々6人とラクダが6頭。ターバンを巻いたベルベル人のガイド1名だけだ。たまにラクダの糞にフンコロガシが寄ってくるのが見えた。

ラクダは砂漠の上で非常に安定した乗り心地だ。しかし時折、砂漠の、その自由な形にラクダとて簡単に歩けないように思えた。

先ほども述べた通り、ここ“サハラ砂漠”は、僕がこの旅に出たときに持っていた2冊の小説『星の王子さま』と『アルケミスト』の舞台なのだ。

『アルケミスト』…スペインの少年サンチャゴが、モロッコからサハラ砂漠を渡りピラミッドの下に隠されている“あるかどうか分からない宝”を探しに「自身の運命」や「宿命」に立ち向かいながら、エジプトまで旅をするというもの。

『星の王子さま』…サハラ砂漠に不時着したパイロットが、星の王子さまと出会い、人生で一番大切なものを思い出す話。

僕は大好きな2つの小説を思い出しながら、ラクダに揺れていた。1時間半ほどだろうか。宿を出発し、ラクダに乗り、照りつける太陽の中、延々とキャンプ地へ向かう。

大自然の中で生きていることを実感した

僕を含め6人の旅人の口数もだいぶ減った。そんな中、僕は砂漠の偉大さに感動し、心の中で「僕の好きな自然はなんだろう?」ということを考えていた。

1位は、圧倒的に「夕日」だ。2位に、「夜空の星々」。そして、3位に今回初めて出会った「砂漠」がランクインした。

そんなことを考えながら、物思いにふけっていると、キャンプ地がポツンと見えた。そして、我に返った。

「大好きな自然の順位」なんてことを考えている自分は、紛れもなく“生きていた”。そして僕は本当に自然が、生きることが、好きな人間だと感じた。

東京にいた頃は、こんな順位なんか考えもしなかった。僕はこの地球で、息を吸って、風を感じて、生きているのだ。その言葉だけで、その全てを感じとれることが出来るようになっていた。

目的地に到着し、しばらくすると夕日が沈み始めた。

どんなに遠くまで眺めても、砂漠以外の物は目に入らなかった。地平線をただただ眺める数分は、非常に心地の良いもので、心の中にある容量のようなもの(人はこれを器と呼ぶ)の空きスペースが、少しだけ、また少しだけ、広がった気がした。

このとき何故だか、ホロリと涙が垂れた。それはきっと、あまりにも美しすぎてだろう。僕には、“この光景を見せたい人”がいる。そう、世界の果てで思えることを幸せに感じた。気付くと、1番星が宇宙の隅っこで輝き始めた。

そして日は完全に沈み、あたり一面が暗闇に包まれた。日が落ちたことで一気に気温が下がり、みんなテントに戻った。

そして、テントの中でモロッコの伝統料理「タジン鍋」を食べた。鍋の蓋を開けると、もくもくっと立ち上がる湯気、そしてとてもいい匂いがした。アツアツの鍋に、ジャガイモや鶏肉がゴロゴロ入って、パンと一緒にお腹いっぱい食べた。

薄暗いテントで、卓を囲んで食べたタジン鍋。なんだか小学生の頃のキャンプを思い出すな。いっとき忘れかけていた“無邪気な笑顔”。それは、いつまでも「子供」ということだけでなく、“未完成”という意味の無邪気さ。

旅に出た僕は、自然とこの無邪気さを取り戻しているような気がする。それは、日々新しい出来事の連続だからだろう。子供の頃のように、世界は“未知”で溢れていることに気付き、旅を重ねるたび新しい自分と向き合っていく。

僕はより一層幸せな気分に満ちた。“懐かしい”と思える気持ち。“無邪気”な、これから何が起こるんだろうって、わくわく、どきどきする感じ。僕はこの感情が大好きだ。

タジン鍋を食べ終えテントから出ると、夜空には満遍なく星が散らばっていた。今度は、どこまで見たって星しかない。まるで自分が宇宙にいるみたいに。

こんな「夜空」今まで、見たことがない。僕が知ってる夜空じゃない。なんと言っていいか、言葉に出来ないもどかしさが再び僕を襲う。とにかく、僕ら人間には絶対に表現出来ない空がそこにはある。

「自分の人生を生きよう」

僕は夜空に見惚れながらも、火を囲んだ。太鼓の音色と共に歌われるモロッコの民謡。時折、竹が炎の中で割れパチパチと鳴る。

その音が太鼓の音色と砂漠の静けさに混じり合い、独特な雰囲気に酔ってしまう。夜空を見上げると、数え切れないほどの星々。数分に1度流れる流れ星に、僕は、僕らは、それぞれの願いを夢見た。あまりにも美しい夜だった。

…星の王子さまは教えてくれた。

「本当に大切なものは、目には見えないんだよ」と。

…サンチャゴ(アルケミスト)は教えてくれた。

「少年は風の自由さを羨ましく思った。そして自分も同じ自由を手に入れることができるはずだと思った。自分をしばっているのは自分だけだった。」と。

長きに渡りついていた火が消え、ベルベル人の歌う民謡も終わり、砂漠が暗闇に包まれた。見上げれば、何千、何万という巨大パノラマ。

その静けさに“孤独”さえも覚えた。まるで、世界が僕1人だけになったかのように静かだった。静けさ故に、「自分という人間」をいろんな方向から見つめ直せた。「星が綺麗な夜だった」だけではあまりにも、言葉足らずな夜だった。

人生いう道に「答え」はない。「こっちだよ」「こっちだよ」って、どこかの誰かが手招きしてるけど、それが「本当に正しい道」という保証はどこにもない。それは、知らない誰かが作った、ただの「マニュアル」だったりする。

恋愛だって、就活だって、人生だって、なんだって。「コレ」という答えはない。 「コレ」という道はない。所詮、マニュアルなんていう「常識」は、
過去のものなんだ。

宇宙的な確率で、この世に“自分”として生まれたのなら、自分らしく、自分の道を歩く。歩いてみようと心掛ける。どこを歩いたっていい。道なんて、そもそも幻想に過ぎないのだから。

自分の心のコンパスが指す方向に人がいなくたって、自分の可能性を信じて進めばいい。この歩いてきた道こそ、人生の答えであり、真理だと思う。…きっとこの世を去る時に、そのことに気付くはず。

周りに流され続ける人生におさらばしよう。自分は世界にたった1人のかけがえのない「個性」なのだから。

朝になり、テントで目を覚ますと、その寒さに、その静けさに、驚いた。そしてまだまだ薄暗いが、間もなくといったところだろうか。日が上がりそうだ。

昨日まで裸足で歩けた砂漠の砂は冷たく、今ではとても歩ける様子ではない。再び砂の上に立つと、周囲の景色が変わっていることにも驚いた。昨日登った砂山の形が大きく変わっている。

この“未完成の美”というものを、砂漠は持っている。見渡して、1番高い砂山に登り、朝日を待った。まるでスキー場に来てしまったかのような寒さの中、黙々と朝日を待った。

「日が出る」前が1番寒く。1番暗い。しかし、必ず朝日は上がるのだ。何度沈んでも、必ず上がり、輝く朝日は、まるで人生の手本のように感じた。

そうこうしているうちに、この日最初の朝日がサハラ砂漠に上がった。

とても暖かく、「生きている」ことを感じた。まるで大切な誰かに抱きしめられているかのように、生き返った。

足下

僕は、分かった。ようやく。ようやく少しだけ、“自分”という人間が分かってきた。何が好きなのか、だったり、どんなタイプなのかってこと。今まで分かった気になっていただけであった。ようやく“自分の足元”が見えてきた。

日本が真ん中になったとき、最西端に位置する国「モロッコ」。旅に出て約7ヶ月。世界の果てまで来て、分かったことは“自分の足元”だった。

僕は知っている。夜空を見上げる幸せを。砂漠の静けさを。そして、太陽の暖かさを。

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